長所を活かす 2
昨日の続き
他人(ひと)のことを
批判も
評価もしない。
ただ、そこにいてくれることに感謝するだけ。
by 自分
”ありがとう”の語源を聞いたことがある。
ネットで「ありがとうの語源」で調べるとたくさん記事がでてくるのですが、
まとめると
有り難い → 有り難う → ありがとう
その”有り難い”とは
有ることが難しい あること自体がまれ、珍しい だ
だから感謝の気持ちを忘れてはいけない。
そんな、感じの意味になる。
今朝、ふと、こんなことを思い出し、
改めて、他人のことを批判や、評価するなんて。
ただ、知り合えて、関わり合いを持てたこと自体が
”有り難い”ことだな~と改めて思いました。
こんなことを考えるなんて、
”ありがとう”の語源を聞いたときにはサラッと流していたのに、
歳をとったからなのか、成長したからなのかはわからないが、
いずれにしても、悪い気はしない。
後は、実践し続けるのみ!
忘れることもあるだろうけど、自分で気づけるようになっていきたいと
思っています。
今日はここまで。
長所を活かす
ついつい、”改善”、”カイゼン”と、常に進化することを目指している。
PDCAを短いサイクルで回して、目標と現状との差を埋めていく。
仕事では、とても当たり前のこと。
これをしていなければ、給与は増えない。
なぜなら、去年より貢献度を上げないと、その上がった分の一部が自分の給与の昇給額になるから。
資本主義、自由競争の世の中では成長しないと競合相手に抜かれてしまい、現状維持では、相対的に下がってしまい、そうなると給料は下がってしまう。
だから”カイゼン”は絶対必要!
このようにいつも考えてきた。
これは間違いなく正解だと思うのだが、本当にこれでよいのだろうか?
”今”より、良くしていく?!
・
・
・
と、いうことは”今”は良くないってこと?!
これだけがんばってきているのに、がんばった結果の”今”はダメっていうことになる?!
これって、自分のことを認めていない・・・・・自信がもてない
自分のことだけでなく、
仕事ではチーム全体で改善策を考える。
・
・
・
それってチームのメンバーがダメっていうこと・・・?!
カイゼンって、だれかを批判していることと同じかも・・・
チームや社内のメンバーを批判なんかしたくない!
そう思っていたのに、知らず知らずのうちに、批判していたなんて!
今日、突然そんなことが頭に浮かんできた。
では、有名なトヨタ自動車のカイゼンも批判することが根底にあるのか?
その中に、カイゼンとは、だれかを批判することとは書いていなかった。
当たり前のことだけど。
改善する対象が、人ではなく、行動?
行動にのみフォーカスをあて、
行動を変化させることで進化していく。
明日から、カイゼンすることを目指さず、今それぞれが頑張っていること、貢献できていること。そのことに対して感謝すること。苦手なことは得意なひとにやってもらい感謝する。
簡単に言うと、それぞれの長所を活かすってこと!
そんな循環に浸れるように明日から少し意識してみようと思う。
今日はここまで
サハラで変わったところ
仕事の同僚に、「前向きやな~ サハラから帰って、変わった」と言われた。
変わったと言われると、うれしい。
以前から、”変わりたい”って思って、いろいろな本を読んだり、セミナーに参加したり、いろんな人と話をしたり、頑張ってきた。自分なりに変わってきたと思うこともあるのですが、どうしても自信がもてない。
そんななか、こうして他人に言ってもらえると、ほんとにうれしく、また自信になる。
がんばり続けて良かった!
「変わった」と言われたあとの、返答は「そんなことないよ。まえから」と答えてしまった・・・
照れくささもあって、ついつい否定してしまった。
それも、少し頑固な感じで。
変わったと言われてうれしいなら、うれしいと伝えればよいのに・・・
サハラに行って変わったところもあるのですが、
変わってないところもまだまだある。
まだまだ修行の途中。
明日からも、笑顔で楽しみながらがんばろうと思います。
人生の流れ
最近、仕事の流れがいい。
今日も、大きな仕事が決まり、この2週間ほどの間に1年以上決まらなかった大きな商談が二つ決まった。
とても良い流れがきているように感じる。
では、なぜこの流れになったのかを、自分の行動の変化から推測してみようと思う。
まず、最近、仕事がとても忙しい。また、忙しい内容が、与えられたことで忙しいのではなく、自分から進んで取り組んでいる内容で忙しい。
次に、毎朝している行動で、「1日の終わりに感じていたい感情」を考えることと、「10種類の表情を鏡の前で練習」それと、もう一つは非科学的な内容のこと。
この3つを毎朝行っている。
それだけが原因ではないと思うが、
最近
ほほえましいことが起きている場所のそばによく立ち会っている。
そして、他人からお礼を言われたり、声をかけてもらえたり、自分が発した言葉で大笑いしてもらったり、何かと人とのコミュニケーションでよいことが多い。
この流れを長く楽しむために、24時間笑顔でいることを意識し続けたり、仕事の中で、新しい取り組みを、まるで趣味を楽しむように取り組んでいこうと思う。
また、この流れが止まる時がきたら、自己分析してみようと思います。
サハラでの忘れものが見つかった
今日、ジョギングしながら気づいたこと。
次の挑戦に向けて、何をするのかを考えながら、走っていた。
とりあえず100kmを走ろうと思っているのだが、目標タイムの設定をどうしようかと考えていた。
・とりあえず完走を目指して、前半は歩く
・せっかくだから、自分のペースで走る
・100kmマラソンの大会で一番遅い足切りタイムを調べてその時間内での完走を目指す
このあたりのどれかになるかと思っているが、ふと自分の限界に改めて挑戦することになりそうだ。
サハラでは自分の限界を超えた世界を体験しに行こうと思っていたが、完走することを重視したため、自分の限界の手前で終わってしまっていたことを、日本に戻ってきてから時々、後悔している。いや、自分で選んだことなので後悔はしていない・・・
などと考えながら走っていたのですが、そんな時に、ふと、サハラでのことを思い出した。
それは、二日目のこと。
砂丘を登ったり下ったり、それを繰り返し、砂丘を超えると6日間で一番の高い山を越えるというとき、始めてCPでもないところで足を止め、荷物を降した。
すぐに体制を整えて前に進んだのですが、山越えは想像以上に厳しく、なかなか足がすすまない。
一歩進むごとに足が止まってしまう。
そんな時、南米系のランナーに「〇△×◇〇!」とわからない言葉で、声をかけてもらった。
たぶん「立ち止まるな!前にすすめ!」そんな風な意味だと感じた。その声から気持ちを持ち直し、前に進みだした。その後も何度も立ち止まりながらも、最大の山を登りきり頂上へ。
この時、間違いなく、自分の限界を超えていた。
なんども心が折れながらも前に進んでいた。改めて思い出すだけで、もう二度とそこには行きたくないと思うような体験だった。
そんな体験をしたことは、すっかり忘れていた。
それ以降にも、厳しい時間がずっと続いていて、また、良い体験もして、記憶の多くは良い体験の方が強く残っていて、日本に帰ってからは、一段と大変だったことよりも、良かったことの方ばかりが思い出される。
サハラに行った人から良く聞くのが、日本に帰ってくると、サハラを美化してしまうと聞いていたが、自分もその通りになっていただけだった。
今回のサハラの挑戦で一番しんどかった体験の直後に斜面の角度が30度ほどの斜面で、砂地のところがあり、そこを走り降りるのが、サハラで一番楽しい経験だったこともあり、すっかり忘れてしまっていたのだと思う。
もちろんそれ以外にも理由はあると思うが、間違いなく、自分の限界を超えたところでのレースだったと改めて思う。
少し前まで、せっかくサハラに行ったのに、自分の限界に挑戦することなく終わったしまったと思い、それが少し悔しくて、次は、もっと攻めたいと思っていたのですが、やっと安心して、次の挑戦に向かえそうです。
次の挑戦の一つ100kmを走ってみることも、たぶん自分の限界を超えることになりそうなので、今から恐怖心と、不安でいっぱいです。
この感覚を感じていることにワクワクすることが楽しいと思っている自分を結構気に入っています!
次の挑戦に向けて ラン10km
家族への心配
夜中の12時を過ぎて、息子が帰ってこない。
土曜日はバイトがあり、いつも11時をまわってから帰ってくるので、今日はバイト先で何かあって遅くなっているのだろうと思っていたが、12時を過ぎるとさすがに心配になってきた。
事故に巻き込まれたのだろうか?
バイト先で何か事件が発生したのだろうか?
今日は祭りだったので、バイトの帰りに悪い連中に絡まれて帰れなくなっているのでは?
いろいろと、頭に悪いイメージがよぎる。
もしかしたら・・・・
昨日までの幸せな日々が一転して・・・
いやいや、悪いイメージを持っていると、現実もそうなってしまいそうで、悪いイメージを持たないように意識する。
12時を過ぎてかえってこないことがこんなに心配に感じるなんて、
自分は12時を超えて帰るときはよくあるし、時々、終電を逃し、外泊もすることもよくある。そんなとき、家に連絡をしたことがない。
今さらだが、家で待っている側の気持ちがわかり、嫁に申し訳ないと思った。
そうしていると、先に寝ていた嫁が目を覚まし、息子がまだ帰ってきていないことを話すと、「今日は大学の友達の家に泊まりにいってる」・・・・・・!
正直、ホッとした。
と、いうか、男だし、大学生だし、12時過ぎたぐらいで心配することなんて必要ないはず。
でも、改めて自分も父親だな~と感じたできごとでした。
次への挑戦に向けて、ラン10km