一年前に決めたことについて、一年後どうなったのかについての確認

一年前の1月に自分で決意したことがありました。

それは、


 ・自分の未来のための時間を2時間確保すること


あれから1年が経ちました。

目標達成率を自己評価すると、


40点!





毎日2時間の時間の確保は難しいです。

しかし、目標を2時間としたことで、少なくとも自分の未来のための行動をほぼ毎日することができました。その時間もばらつきはありますが、平均1時間は確保できてると思います。


実際は時間を目標としていしきしているのではなく、行動(実際に何をするか)を目標としていたので、"2時間"という数字は忘れていたのですが(笑)、そのおかげで、毎日ちょっとだけでもやってみようと思えることで、継続できた部分もあふように思います。



しかし、40点では低すぎるので、今年は100点を目指して、最低でも70点は超えるように、行動して行きます。



チームの中での人と人との関係について

会社組織においてどんな人間関係になっていると、気持ちよく働けるのだろう?


仕事で色々な組織に行くことがあります。

行くと、その組織によって居心地が異なります。「とても、居心地の良いとき」「そうでないとき」何が違うのが気になって考えてみることがよくあります。


自分の社内でもありますよね、心地いいチームとそうでないチームありますよね。

同じチームでも、よくなったり、悪くなったり。



できることなら、活気があり、前向きな雰囲気なチームが良いと思うのですが、どうなればそんな雰囲気になるのでしょうか?



この前、こんな言葉を目にしました。


   お互いを尊敬し合い

   お互いを尊重し合い…

   お互いを高め合う。



とっても気に入りました。

これを実現しているチームなら、きっと居心地が良く、活気があり、前向きな雰囲気のチームになるに違いないのでは。


こんな関係を実現して行こうと決めました。

そのためには、まずは自分から、


   相手を尊敬し

   相手を尊重し

   相手から学ぶことで

   自分を高めていく


まずは、ここから

そして、その先には



   お互いを尊敬し合い

   お互いを尊重し合い…

   お互いを高め合う。



自分の周りにはそんな関係性のチームばかりになっていることを目指して行きます。




  






振袖の販売とレンタル店「はれのひ」の事件から考える企業の姿勢について

2018年1月8日成人の日。

成人になった人たちにとって、その親にとってもかけがえのない晴れの日に、振袖のレンタルと着付けを業務としている会社「はれのひ」(本社神奈川県横浜市)が夜逃げしたというニュースが流れました。


この会社は振袖の販売・レンタルと着付けの店を4店舗出店していて、前日に筑波の店では営業していたようですが、それでも着付けが遅く式典に間に合わなかった人がいたようです。

そして、1月8日、横浜と八王子の店は誰もおらず、本社も電話に出ない状況、

福岡の店だけは、本社とは連絡がつかない状況の中、店長の判断で着付けを実施。


八王子の店は物が何もない状態になっている画像が流れてきていることと、直前まで電話の問い合わせに普通に対応していたことなどから、計画的ではないかと書かれています。


また、従業員には12月の給与が遅れていることまあったとの話も流れていて、経営状態はかなり厳しかったのだと思われます。



振袖の販売やレンタルをして、着付けをする会社は、1年から2年前に予約を受け、その代金は先払い。(着付け代は当日払いの店も)

倒産や夜逃げするにしても、成人式の日よりも少しでも早ければ、倒産についての非難は避けられなくても、成人式を迎える人たちは、別の方法を選べたはずなのに、当日の朝だと、他の店にお願いしたり、スーツで行く準備をしたり、式典には出られる手立てがあったはずなのに。



晴れの日に行われる事についての事業をするときに、晴れの日はその人の人生にとって大きな意味を持っていることぐらいはわかっていると思いますが、今回の会社にはその事に対しての倫理観はなかったように思われます。


民間の企業が経営不振から倒産することは、珍しいことではありませんが、仮に倒産し、その事業に関係する人たちへの迷惑は避けられないにしても、最後の最後の倫理観は残しておいて欲しいと思いました。


もちろん、今回の会社の社長や従業員も、最初から倫理観がなかったはずはなく、とくに従業員は被害者と同じぐらいの苦しい心境になっているのではないでしょうか。




今回の事件の一方で、今回の事件の被害者を救済しようとする動きについても、情報が流れていて、日本人の良さと、ネットでの情報化社会の強みを感じることができました。



企業は世の中に貢献することで、その存在価値があり、その貢献度合いが、必要な経費を上回ることで利益を得て事業が継続し、本当の世の中への貢献となる。



ずさんな経営があったのか?

または、事業の貢献度合いが、経費を上回れなかったのか?

今回の事件の原因はわかりませんが、いずれにしても、とても残念な事件です。





仕事中の雑談

去年テレビで見たのですが、会社の生産性を上げるには雑談が大切だそうです。


そんな事は、仕事の内容によって違うだろうと、その時は思っていました。


一人一人が自分の役割に集中し、より効率的に仕事をこなしていく。

情報の共有は、色々なIT系のツールを有効に活用し、どうしても必要があればミーティングを行う。

ミーティングも、事前に議題を共有し、その会議のゴールと制限時間ををしっかりと意識して行う。

そうしていくことが、仕事の生産性を上げる重要なことだと思っていました。



雑談が大事だという話を聞いてから、どこか頭の中でそのことが引っ掛かっていたのを感じていました。


気になるなら、試しに意識してやってみよう!


軽い気持ちで、「絶対やるぞ!」というような、硬い感じではなく、なんとなく、思い出したら意識して行動してみようと。


そして、半年以上が過ぎ、その習慣に慣れてきています。

ポイントは、席を立って移動する時、オフィス全体を見渡しながら歩くこと。

デスクで仕事をしているときは、目の前の仕事に集中しているのですが、立ち上がったときは、自分自身の気分転換。頭の中をリセット。

そうすると、働いている仲間の表情や、集中の、度合いが目に入ってきます。

そして、仕事や仕事以外の話したい事が浮かんできて、相手の集中度合いを見て話に行くようになりました。


話しが終わって自分の席に戻ると、自分の頭の中が、リフレッシュされ、自分の仕事への集中力がアップします。



最近では、色々な場所で話をするようになって、仕事が一段と楽しくなってきました。



仕事中の雑談、おススメです。




星野仙一さんについて

星野仙一さんがお亡くなりになられました。

まだ70歳でした。

昨日からテレビや新聞で昔の映像や、往年のプロ野球選手たちのコメントが流れています。


僕が子供の頃、毎晩テレビでは巨人の試合が流れていて、巨人ファンではなくても、見ていたのを覚えています。

よく見ていたので、巨人の選手の顔や名前は覚えてしまっていたのですが、その他の球団の選手はあまり知りませんでした。


そんな中、中日の星野投手は印象が強くて覚えていました。

まだ子供だったのですが、他の投手とは違う何かを感じていたのだと思います。


今回の訃報で流れてくる星野さんの話を見ているうちに、その何か違うところが明確になりました。


その当時飛び抜けた人気を誇り、強かった巨人に対して立ち向かっていく姿勢が、そんな事を考えていない子供にでも伝わっていたのだと思います。



現役を引退し、中日の監督になった頃はよく覚えていませんが、僕の好きな阪神の監督になった時に初めて星野仙一さんという"男"を知り、ファンになってしまいました。

「闘将」という言葉がとても似合う監督でした。

そして、阪神を去った後、楽天の監督になっても応援していました。



今回テレビで流れていたプロ野球選手からの話で、「星野さんが乱闘していたのは、ほとんどが演技」という話がありした。

星野さんは「その方が盛り上がるだろ」と。

目てもらうためにあるプロスポーツとして、一緒に戦っている選手の気持ちのことも考えていたのだろう。あの乱闘は演技だったんだと思うと、さらにファンになってしまいました。


その後にも、沢山の番組で星野さんの乱闘シーンが流されるたびに「これは演技なんだ」と思いながら見ていたのですが、時々、演技を通り越して手が出ているように見える映像も。これも演技?!


盛り上げるために頑張っている星野さんも好きだけど、本気で闘っている星野さん、好きだなぁ〜。



星野さんありがとうございました!




昔の会社の上司との再会

昔勤めていた会社の上司と話をする機会がありました。

その方も転職していて、今は僕の勤める会社の取引き業者で働いています。


その人は、直接一緒に仕事をしたことがあるわけではないのですが、僕が社会人として1年目か2年目の時、他の事業部の責任者をされていたのですが、とても良くして頂いた記憶がある方です。


顔を見た瞬間に、昔の感覚が蘇り、自分の顔が笑顔になったのを感じました。

感覚としては、好きな上司に飲みに連れて行ってもらう時のような感じです。


普段上司のいない部署での仕事をしていると、常に自分自身が考え、判断をしていくことを続けているのですが、「上司」がいる頃を考えると、とても気持ちが楽だったように思えます。

変な上司の下で働いていた時は、大変だったのですが。

そはでも何かを決めるということの一つ一つに責任が伴っているので厳しさを常に感じて仕事をしています。


そんな事を思いながら、自分が成長している姿を見てもらいたいという気持ちも芽生えながら、短時間ですが色々な話ができて楽しい時間でした。



自分の後輩と、将来再開した時に、同じように楽しい気持ちで話をしたいと思ってもらえるような、そんな存在で在りたいと改めて思いました。




母の誕生日

いつの頃からか、母の誕生日に電話をかけるようになった。

いつかなのかはよく覚えていない。

今年も忘れないように朝の通勤時間に電話。「誕生日おめでとう」「何歳になったの?」と、実は母の年齢はちゃんと覚えていない(笑)

それでも母はとても嬉しそうだった。



母親と電話で話ができることの幸せを改めて感じました。