Googlemapの限界?!
スマホの地図アプリはずっとGooglemapを使っている。
車のナビよりも移動時間の予測が当たるし、ルート提案も安心できる。
知らない街で電車移動の時ももちろん。駅から駅までだといろんなアプリやサービスがあるのですが、駅から離れた場所からのときなどは、他のサービスを試してみようとも思っていない。
昨日もGooglemapを、片手に知らない町を電車とバスを使いながら次から次へと移動していたのですが、そこで事件が発生!
Googlemapが示す曲がり角に道がない!
今までに、民家の路地裏の様なルートが出てきたりして、びっくりしたことは何度かあるのですが、道がないなかったのは初めてでした。
「たまにはそんなこともあるだろう」と、あまり気にも止めずに、もう少し進むと、自動的に修正したルートが表示され、目的地には無事に到着することができました。
その目的地からの帰り、Googlemapで次の行き先までルート検索。表示されたルートでは、まずはさっき来たバス停とは違う駅に向かうルートになっていたのですが、方向が近く、またも道の無いルートが表示された!
このとき初めてGooglemapに不信感を感情にました。
もちろんGooglemapが示すルートには行かず、さっき来た道を歩い戻ろうとした時、ふと、さっきの道の無いルートはどうなっているんだろうかと興味が湧いて来ました。
行ってみると、道はある!
でも、こんな感じ
舗装はされていないし、雑草が茂っていて、スーツを着ている自分にとっては、こんなの道じゃ無い!
引き返そうかと思ったのですが、次に頭に浮かんだのは、反対側の入り口はどうなってたんだろう?
来るときには立ち止まって見ても道はなかったはず!
また好奇心が湧いてきて、雑草をかき分けながら進んでみました。
すると、ちゃんと道はありました。Googlemapが示した場所に雑草で入り口をほとんど塞がれた状態ですが、ちゃんと道はありました!
舗装はされてなくても、雑草さえなければ、歩きにくくもなく、距離的にもこっちのルートの方が絶対良いと思えてGoogleに対しての信頼が少し戻りました。
Googleも雑草が伸びることまでは予測出来なかったでしょうから。
そんなことを考えて駅に向かい、やっと駅に着いた!と思った瞬間。
駅に入る道がない!
道がないと言うより、道と駅の間には川があり、どう見ても今回は見間違いではない!
人間、誰でも間違いはある。
Googlemapだって人間が作ったサービス。
そんなことを考えながら、5分ぐらい、Googlemapを見ずに流れる川を見ながら駅に向かいました。
知らない町で、川や景色を見ながら歩くのって気持ちが良い!
目標を決められない時の目標設定について2
昨日にする予定つもりだった目標について考える時間を1時間つくると決めていたのですが、結果的に出来ませんでした。
自分で決めたこと。それもたった1時間時間を確保すること。そんなことでさえ出来なかった、というより、やらなかったと言った方が合っているように思えます。
やらなかったのは、そのことよりも、他のことを優先したからということになる。
じゃぁ、生きて行く上で、どうやって生きて行くのか?、どうなりたいのか?それよりも重要なことが昨日あったのか?
緊急性は高いが重要じゃないことで1日を費やしてしまった様に思える。そのひとつひとつはしないといけないことばかりなので仕方がないと思えるのですか、本当にこれで良いのだろうか?
こうして、緊急性は高いが重要性の低いことばかりに時間を取られてこの歳まで生きてきた様に思えてしまう。
この前に行ったセミナーでの話で「やってみると良いことを聞いても実際にやってみる人は7%しかいない」と聞いた。こんな話は今までに何度聞いたかわからないぐらい聞いているし、覚えている。そして、成功するのは行動する7%の人。
聞くたびに、「自分は違う」「今回は絶対にやる!」と、心に決めているのですが・・・
「今回は・・・」と心に決めたことも何回もある。
その時はモチベーションが上がり行動に移すことも多いのですが・・・
では、どうしたら良いのか?
どうしたら同じ様なことを繰り返さないようになるのか?
いろんなことにチャレンジして行くにはこの辺りが一番の課題だと思います。
もう少し継続して考えていこうと思います。
目標を決められない時の目標設定について
自分は何をやりたくて、どうなりたいのか?
なりたい姿を持っていない。
そのことに少し不安な気持ちになる。
なりたい姿とは違った目標はいろいろとある。
例えば、マラソンでのサブ4だとか、ウルトラマラソンや、トライアスロンへのチャレンジだとか。
仕事上でも目標は山のように抱えているし、その目標は自分で設定しているのでやらされ感はなく、充実した日々を送っている。
ほれぞれひとつひとつは目標として数値化したり、具体化しているのですが、これらの目標を達成するとどうなるのだろう?
どんな感情になるのだろう?
その時に今より幸せを感じれるのだろうか?それも、自分ひとりだけなのか、周りの人と一緒に幸せを感じられるのか?
今の目標は違うのはわかっている。
このまま目の前の目標だけを追い求めても、周りの人も一緒に幸せを感じれるようになりたいという漠然とした方向に近づがないのではないかと思っている。
では、どうするのか?
どうしたら良いのか?
そんな事を考える時間を1時間だけでも作ろうとおもいます。
神は細部に宿る?
展示会が始まった。
今回の展示会については、いろんな思い入れの入った展示会となりました。
準備段階から、いろいろな感情が湧きながらも、成功に向けて気持ちを集中しながら準備をすすめていました。
そして展示会の初日、朝礼から気持ちが思いっきり入っています。
いままで何度も展示会を行ってきましたが、今回は、いろんなことが思い出されます。
はじめて、展示会に参加した時の緊張感。そして、そのリーダーの怖さ。
怖さと言っても怒ったり叱ったりするから怖いのではなく、細部にまで心配りをしたうえでの行動に対して怖さを感じたのを思い出したのです。
そのリーダーは企画系の担当者で、展示会では営業がメインとなり、リーダーシップを発揮し、いかに売り上げにつなげることができるのかなので、本来は営業の責任者がリーダーの方が向いているように思っていたのですが、そのリーダーと話をしているうちに、なぜそこまで展示会に一生懸命になるのかについての話を教えてくれました。
普段いくら良い企画でよい商品を提供しても、売れるのか売れないのかは営業担当者次第となり、良い商品・良い企画がかならずしも売上と比例しない。
心を込めて企画している側の人間としてはもどかしさがある。しかし、展示会では直接お客様の反応に触れることができる。その機会をとても貴重だと言っていた。そして、その反応を知ることを楽しみにさえしているように感じた。
そんなことを思い出しながら、自分の行動のひとつひとつに意識が集中し、いつもなら「これぐらいで十分だろう」と思うような時でも、もうひと手間をかけている自分がそこにいた。
なんとなく頭に浮かんできていた言葉が「神は細部に宿る」という言葉。
ひとつひとつの行動を意識することで、結果が変わってくるような気がしながら行動していき、また、その感覚を楽しみながら展示会を楽しんでいた。
明日が展示会の最終日、細部にまで意識を巡らせながら、楽しもうと思っています。
そして、そのことが結果に変化をもたらすことを信じて。
今回の逆境対策について考えてみた
今、起きている逆境にどう立ち向かって行けば良いのかを考えてみた。
まずは
・感情に流されないこと
・客観的に状況を把握すること
次に
・最悪のシナリオを想定すること(リスク確認)
・理想的な切り抜けかたを考えること
・現実的な範囲で期待できそうな結論を考えること
その上で、ネットで調べる
・一般的な話(法的な事を含む)
・事例を色々と読む
・リスクを回避する方法やパターンを調べる
具体的な行動を決める
・自分の行動
・情報の公開範囲を考える
・周りにどのように接するのか?
・周りの人に依頼する事
日々、注意する事
・感情に流されていないか?
・最悪のリスクは避けれているか?
・希望している方向に進んでいるのか?
・周りの人の反応や感情はどうか?
今回の逆境の、内容が少し特殊なので、対策案も歪んでいるかもしれませんが、状況の客観視のためにまとめてみました。
さぁ、どんな風に乗り越えるのだろうか、今回の逆境を。
逆境がもう一つ
組織にとって、もう一つ逆風が発生。
この逆風は予想してなかった。
最近、気象上の出来事はすべて想定内だとら考えておく必要があるように言われているのですが、いざ自分たちが逆境に陥ると、想定内だとは簡単に言えない。
逆境の裏側には色々な背景があるのですが、色々な可能性を想定しながら準備をしないといけないお思うのですが、現実はなかなか難しいと思いました。
そんな中、人生の中で一番大きな逆風がふいています、その事に関わっている全てのひとが幸せになるように、考えて、行動し、前を向いて進んで行こうと思います。